シリーズその③ 「経営者に考えて欲しい「公」と「私」」 第7話 「まとめ(続き)」
- ritsu_dragon

- 2024年7月16日
- 読了時間: 1分
読者の皆さん、こんにちは。
株式会社ユナイテッドの藤田です。
こちらのブログでは、私が公認会計士及び経営者として経験した事例をもとに、日本の企業をもう一度輝かせるためのさまざまな考察や提案を配信していこうと考えています。
シリーズその①では、課題解決の入り口として、壁打ちコンサルについてご紹介しました。
シリーズその②では、「人材開発」を取り上げ、カウンセリングについてご紹介しました。
そしてシリーズその③では、企業経営において私がとても大事にしている「公」と「私」について解説したいと思います。
第7話は最終話となりますが、これまでのお話しを総括し、「まとめ(続き)」としてお伝えしたいと思います。
「公」のお手本
私は、日本において「公」の精神が最も輝いたのは、幕末から明治維新にかけての時代だと思っています。当時は、西欧列強の植民地になるという恐怖があり、日本国(公)が力を持たないと国民(私)がとんでもない不幸になるという緊迫した時代、すなわち、「公」への貢献が「私」の幸せに直結する分かりやすい時代であったからです。この時代の日本人は、西欧の恐怖から逃れるために、誰もが必死に自分の役割を考えた時代でした。歴史上の大人物だけではなく、わずかな記録にしか残っていない市井の日本人も、同じく高潔な精神を持っていたように思います。ですが本稿では、分かりやすい例として、3人の歴史的偉人をご紹介します。
坂本龍馬のケース
1人目は坂本龍馬です。彼は自由奔放、倜儻不羈(てきとうふき)という形容がピッタリな自由人ですが、勝手気ままに生きた訳ではなく、倒幕・開国して日本を救うために奔走した志士であり、まさに「公」を体現した人であったと思います。彼は勝海舟の薫陶を受けた影響もあって、尊王攘夷という単純なイデオロギーの信奉者ではなく、「海援隊」という結社(株式会社の原型)を作り、国際法を背景に海運を最大限活用し、貿易(経済力)、海軍(軍事力)の増強を図るという、当時としてはとんでもなく雄大な構想を持っていました。この構想に対して多くの協力者が現れたのは、龍馬が私利私欲によってこの事業を志したのではなく、天下国家(公)のためであると誰もが認めたからです。龍馬は志半ばで非業の死を遂げますが、彼と同郷の土佐藩にいた岩崎弥太郎が、彼の構想の一部を引き継ぎ、三菱財閥を築いたのは有名な話です。
高杉晋作のケース
2人目は高杉晋作です。この人も豪放磊落な自由人でしたが、彼の生涯には藩主(毛利候)に対する一貫した忠誠心がありました。晋作の不思議さは、藩主という幕藩体制の君主に忠誠を誓いながら、同時にその幕藩体制を倒す活動をしていたところにあります。恐らく彼の中には長州藩という「公」があり、その上には日本国という「公」しかなく、幕府は単なる徳川家(私)に過ぎないと思っていたのではないでしょうか。晋作は、馬関戦争(英・米・仏・蘭の四国連合艦隊と長州藩との戦闘)や二度にわたる幕府の長州征伐など、長州藩の軍事的窮地を天才的な軍略と外交力で乗り切ったことや、奇兵隊を創設して日本陸軍の原型を作ったという派手な功績に注目されがちです。ですが晋作の本質には、吉田松陰という偉大なる思想家から学んだ「公」の概念が根底に流れており、いかなる時でもブレずにその信念を貫き通したからこそ、彼の生涯は誰の目にも美しく映るのだと思います。
大久保利通のケース
3人目は大久保利通です。明治維新という革命が成功し、新政府ができたことで、幕末の志士の多くは目標を見失いました。木戸孝允(桂小五郎)は鬱々とした批判家となり、西郷隆盛は新政府の前途を儚んで鹿児島に帰郷し、その他の志士たちも新政府で得た官職や俸給に満足して栄華を楽しむようになったのです。しかし大久保の最終目標は明治維新ではなく、できたばかりの日本国を一等国にすることでした。彼は西欧列強に負けない国力を備え、幕府が結んだ不平等条約を撤回させるために、版籍奉還、廃藩置県、陸海軍の増強、産業の振興などを次々と手がけました。大久保の多方面での活躍は権力集中を生み、一部では「有司専制(一部の人間が権力をほしいままにすること)」という批判も出ました。しかし、大久保が紀尾井坂の変で暗殺された後、彼の資産は現金140円に対して借入金が8,000円もあり、その他の財産も全て抵当に入っていたことが分かりました。彼は自ら得た権力を国のためにだけ使い、不正な蓄財をしなかったばかりか、予算のつかなかった公共事業に私財を投じたり、国の借金を個人で充当していたため、個人の財政は破綻していたのです。ですが大久保に資金を貸した債権者たちは、彼が何のためにその借財をしたのかを知っていたので、返済を遺族に求めなかったそうです。徹頭徹尾、常住坐臥、大久保の頭には、常に「公」があったと言っていいでしょう。
最後に
私たちは幕末や明治に生きている訳ではないので、上記の偉人と同じく高潔な「公」を持つことはできないかもしれません。また、現代における「公」は、明治維新前後に比べて分かりにくくなっているとも言えます。ですが、令和の世には令和の社会があり、その社会を維持するための「公」が存在するのは確かで、それを見失うと我々は全員が不幸になるでしょう。読者の皆さんも、ご自分が守るべき「公」とは何かを見極めて、これを大事にしていただければ、筆者としては嬉しい限りです。
最後までご愛読いただき、ありがとうございました。
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